朋ちゃんの大学・就職・転職・声優デビューの話

2007/04/10に発売された『声優グランプリ 2007年5月号』に朋ちゃんの脱サラ話が載っていたので、その記事といろいろなトコで聞いた朋ちゃんの話をまとめてみました。
なるべく出典が明らかな情報メインでまとめていますが、主な情報源が朋ちゃん本人の口からでているので、信憑性と信頼性は著しく低いと思われます(笑)

関東学院大学工学部建築学科卒業

これは記事には書かれていないですが、青二プロダクション公式サイトのプロフィールなどにも書かれている朋ちゃんの最終学歴になります。
中学校と高校は、関東学院大学の付属校でしたので大学進学は推薦入学でした。
建築学科を選んだ理由ですが、高校時代そこそこ成績のよかった朋ちゃんは・・・「どこでも入れたの、続いてるからどこの学科にしようかなっと思って、一番頭が良さそう学科にいったの」by朋ちゃん(2005/01/01放送のA&G超RADIO SHOW〜アニスパ!〜 一撃A&G「かねともヒストリー」にて本人談)と話しています(^^;


建築学科在学中は・・・「普通1ミリってありますよね?その1ミリのさらにもっと、もっと細かい目盛りがある・・・それで、年中ね、鉛筆削らないといけないの、太くなっちゃうからでもね、年中そうやって・・・別にいいじゃん書けるんだからっていう性格だから、年がら年中、尖っている状態にしなくちゃいけないのがメンドクサイし・・・1ミリとかも、だいたいあってればいいじゃんって思ってら、それだと実際建物が建ったときにすごい大きくなっちゃうからダメだっていわれて、そういう・・・合わないって思ったの・・・性格的に合わないかもって」by朋ちゃん(2005/01/01放送のA&G超RADIO SHOW〜アニスパ!〜 一撃A&G「かねともヒストリー」にて本人談)・・・あまり、朋ちゃんには合っていなかったみたいですが・・・テニス部(サークル?)に入って、テニスの他にもバーベQやったり冬はスキーをしたりと、大学生活は楽しんだみたいですw


大学在学中に、初めての海外旅行となるイタリア旅行にも出かけました・・・「義務感で行ったイタリアだったんですけど・・・だから建築関係だったから、建築の勉強で建物とか、それを見に行くので、それを見ないとなんかいけなかったんです」by朋ちゃん(2005/01/01 A&G超RADIO SHOW〜アニスパ!〜)・・・大学の研究室の旅行みたいな感じだったみたいです。ちなみに、この次の海外旅行は昨年AT−Xの番組で行った韓国旅行になります。


そんな朋ちゃんも一応卒業研究をまとめてちゃんと卒業しています(^^;
しかし・・・「ちなみに私は、課題は友達が5人がかりで全部やって、私はほとんど寝てました」 by朋ちゃん(2005/03/14 明日は明日の朋ちゃんねる にて)、「友達をいっぱい作っとくに限りますね。友達ちは何故イッパイ作らなきゃならないかというと、テストの時とかに友達の輪が広がってると楽なんです。私は大学を卒業できたのはもうホント友達のおかげだと思ってる・・・友達がいなかったら卒業できてませんね。友達がうちに泊まりにきて、いろいろ・・・研究ざい(?)のそのあれを手伝ってくれて、お母さんがおでんを作ってた 一生懸命・・・そういう印象がありますね」by朋ちゃん(2005/04/04 明日は明日の朋ちゃんねる)
金田家に集まった友人パワーを総動員して・・・朋母もおでんを作って応援してますが・・・つまり朋ちゃんは、卒研もおでんも作らなかったという事なのか?(^^;;


この卒論と思われる画像が、2005/04/25頃にネットにアップロードされ、2chにその場所が書き込まれました。
内容は卒論の要旨集と卒業アルバムらしき写真ですが、その内容は、 starchat.tv内で朋ちゃん本人が話していたヒマワリの様な照明のモノなので、ホンモノの可能性は高いと思われます。
なお、この卒業論文と卒業アルバムの画像が修正されていないなら1995年度の卒業となります。

雪国の製菓メーカー

今回の声優グランプリの記事によると、朋ちゃんが最初に就職したのは雪国にある製菓メーカーだそうです。
『面接ではお菓子の素晴らしさを語りすぎて暴走した』と書いてありますが、朋ちゃんが良く面接や就職の話題で出すお菓子メーカーでの面接話はこの時の事もあるのでしょうか?w
『雪国にあった工場に勤めていた』、『まったく初めての地方で知り合いもいなかった』と書いてありますが、朋ちゃんが以前、starchat.tv朋ちゃんねるで話していた『新潟の会社に勤めていた時は寮に入っていた』という話は、この時の事だったみたいです。
なお今回の記事によると、この製菓メーカーは、結局冬を待つことなく退職してたとの事です・・・ってつまり、1年いなかったって事ですね(^^;


starchat.tvで、朋ちゃん本人の発言によると、『銀行は学校を卒業して最初に働いた場所ではない』、『経理の仕事をしていて、それはバイトではない』とのことなので、もしかしたら製菓メーカーでの仕事は経理関係だったのかもしれません。(※これはあくまでも推理ですんで、あんまり本気にしないでねw)
またこの寮生活は、結構貧乏生活だったようで・・・「寮に入っていた時に節約してたときがあるの」 by朋ちゃん、「焼肉とかやる時にギュウヒってあるじゃん、ギュウヒの種類でもいろいろあって、ギュウヒ良いギュウヒと悪いギュウヒがあるの。良いギュウヒっていうのはホントにいろんな形になっているギュウヒで、ホントに牛の油みたいな感じなんだけど。真四角の立方体になっているのは、機械で切ってあるから、そっちよりも味が気になるのは、ギュウヒの方なのね」by朋ちゃん、「牛肉が無くても、それはね牛の味になってね、程よい良い、なんか油がでるんだよね。それをチンしてね、暖かいご飯にそれさーって掛けてね。お醤油かけて食べたりするとちょっとね、焼肉丼って、ギュウヒ丼なんだけど、そういうのができて、結構それが美味しかったり」by朋ちゃん(2005/07/18 金田朋子ができましたぁ〜生!)・・・朋ちゃんの節約レシピの『ギュウヒ丼』が朋ちゃんの食生活を支えていたみたいですw

東京のデパートのおもちゃ売り場の店員

製菓メーカーの工場で寮生活をしていた朋ちゃんですが、今回の記事によると「実家が関東なので、地方勤務だとなかなか戻ってこられないんです。あと何か仕事以外のことをするにしても、まったく初めての地方で知り合いもいなかったし、仕事が終った後はすることがなくて。しかも雪国だったので・・・・・・これは冬になる前に戻らなければ大変だと(笑)それで、引き留められたんですけど退職しました」by朋ちゃん、との事なので1年勤めることなく退職して実家にもどったみたいです。
関東に戻ってきた朋ちゃんが転職した先は、東京のデパートであると今回の記事に書いてあります。それによると「ちょうどそのときオープンする直前のところで、かなり大きく募集してたんです」by朋ちゃん、と話しています。こうして東京のデパートに再就職というか、転職した朋ちゃん、本人はハンカチ売り場やランジェリー売り場を希望したらしいですが

「私はホントは、ハンカチ売り場とか行きたかったです・・・ランジェリー売り場とか、カッコいいじゃないです?なのに子供服かおもちゃ売り場決定で・・・(デパガって感じのイメージが欲しかったのにby鷲崎さん)・・・そうそう、受付とかで・・・だけど、それで子供とかに『おもちゃみたい』とかいわれて、『なんじゃこりゃw』みたいな感じだったんですけど」by朋ちゃん(2005/01/01 A&G超RADIO SHOW〜アニスパ!〜)

結局、『あなたはおもちゃ売り場か子供服売り場しか考えられない』といわれて、おもちゃ売り場に配属になったそうです。


今回の記事では、どこのデパートか書いてなかったのですが・・・2005/05/09の朋ちゃんねるなどでは、『新宿のデパートのおもちゃ売り場』と話していた時に、タカシマヤ独特の隠語について話していたので

「でも、私デパートに行ってた時には、『ジンキュウ行ってきます』っていうのが・・・『ジンキュウ』っていうんですよ、お花畑のことジンキュウっていうんですよ・・・(どういう字書くんだろう?byマリ姉)・・・ヒトが休みってことじゃないですか?」by朋ちゃん

タカシマヤに勤めていたのはバレバレだったのですが、2006/08/18に放送された『まんとら〜マンガ虎の穴〜』内で朋ちゃん本人の口から、「新宿タカシマヤにいて」 by朋ちゃん、とハッキリ『新宿タカシマヤ』に勤めていたことを明かしています。


この新宿タカシマヤですが、新宿駅南口前のタカシマヤタイムズスクエアにあり、オープンは 1996年10月4日 だそうです・・・となると、大学卒業が1995年度(1996年3月)で、1996年の9月には既に新宿タカシマヤで働いていたことになるので、雪国の製菓メーカー工場で働いていたのは、長くても5ヶ月ちょっとということになるのかな?(^^;;


なお朋ちゃんが良く話している、レジ打ちをしていてレジが喋っていると勘違いされた話は、今回の記事によると東京のデパート時代の話だそうです。
またデパート勤務時の制服は特注だったと書かれています。

銀行の貸し金庫係&青二塾東京校二部

東京のデパートで働き出した朋ちゃんですが、今回の記事によると青二塾の二部に働きながら通う為に転職したと書かれています。
大学の時に声優になりたいと思った朋ちゃん電通に勤めている姉から青二プロダクションという声優プロダクションがあると聞かされたそうですが、当時は昼間部しかなく、『通うのは無理だな』by朋ちゃん、と思ったそうですが、デパートに勤めていた時にに二部の募集があるのを見つけて・・・朋ちゃんは、青二塾東京校2部の1期生になります・・・デパート勤めでは、遅番の時に夜間の青二塾二部に通えなくなるとの理由でデパートを退職して、勤務時間のハッキリしている銀行へ転職したそうです。


今回の記事では、いつ頃から銀行に勤めたか書いてありませんが、青二塾東京校第二部は2年コースで1期が始まったのは1998年4月からなので、デパート勤めは1年半ということになるのかな?


銀行では、貸し金庫を担当していた朋ちゃん・・・

「ホントに新規のお客さんとか、私ちいちゃくてテーブルからこんな感じで顔出してる感じじゃないですか? 一応、貸し金庫係だったんですけど、独りだったんですよ・・・それで、おばあちゃんとかおじいちゃんが新規でくると、『不安だよ、きみひとりだと』とかいわれて、大丈夫です、ココにボタンがあるんで、なんかあったらこのボタンを押すと大丈夫なんです」by朋ちゃん


「でも銀行いった時には、おばあちゃんとかおじいちゃんとかが良く遊びに来てくれて、それでティッシュとかにおまんじゅうとか詰めてきてくれて、『これお食べ』とかいって、それで『支店長にはないしょだよ』っていいながら、めちゃめちゃカメラに写ってるw」by朋ちゃん
(2005/01/01 A&G超RADIO SHOW〜アニスパ!〜)

お客さんに心配されたり、かわいがってもらっていたみたいです。
ちなみに、デパートの時と同じく、銀行での制服も特注だったと書かれています。


以前、朋ちゃんねるやstarchat.tvで、青二塾の授業料は自分で働いて払ったと話していた朋ちゃん、今回の記事でも両立するのがとても大変だったと書いてありますが、2年間銀行員として勤めながら青二塾に通い、無事に1期生として卒塾することになります。

「それでわたし、自分でいうのもなんなんですけど・・・青ニ塾でオーディション受かって、辞める時におじいちゃんおばあちゃんに悲しまれたんですよ。わたしそのぐらい、おじいちゃんおばあちゃんには大人気だったんですよ。私おしゃべりなんで良く話し相手になってたりとかして、結構よかったですね」by朋ちゃん

「一応、それで2年間通ったんですね。受かったから、銀行辞めたんです。受からなかったら、たぶんまだ銀行にいましたね」by朋ちゃん
(2005/01/01 A&G超RADIO SHOW〜アニスパ!〜)

1999年度(2000年3月)に青二塾を無事に卒塾した朋ちゃん、記事には書かれていませんでしたが、青二塾のオーディションに合格してジュニアとして青二プロダクションに入ったと思われます。

声優デビュー

青二プロダクションに入った朋ちゃん、今回の記事によると・・・『毎日事務所に行ってました・・・デモテープ作って配ったり・・・4、5月は仕事がなくて、初仕事が7月くらいだったんですけど・・・』by朋ちゃん、と初仕事がその年の7月であったと話しています。


朋ちゃんの声優デビュー作品は、starchat.tvや2004/09/24の青春ラジメニア朋ちゃん本人が話していますが、OVAの『伝心 まもって守護月天!』になります。
朋ちゃんはこの作品の第2話「潮風のときめき」(2000/08/25発売)に女の子役として出演しています。
これが朋ちゃんのアニメデビュー作品となります。
※正確には、朋ちゃん本人も話していますが、同じ作品で服巻浩司さんと兼役でカップルの女の子を演じたのが、デビューキャラとなります。しかしこれはあくまでも兼役でありクレジットされているのは、その後に登場した女の子役となっています。
つまりちょうど7月頃に収録が行われた可能性があり、この作品の事と思われます。


なお、朋ちゃんのTVアニメデビュー作品ですが、同じ時に『ちびまる子ちゃんの女の子役が初めてアフレコに挑んだテレビアニメ作品』と朋ちゃん本人が話しています。
こちらは2000/09/17放送の 第288話『「まる子 しあわせのキューピット」の巻』となります。


ここまでのまとめ

  • 初めての就職は雪国の製菓メーカーだが、冬を待たずに退社
  • 製菓メーカー退社後、東京のデパートに転職した。
  • 1996年10月には新宿タカシマヤのおもちゃ売り場で働いていた。
  • 青二塾に通う為に、デパートから銀行へ転職した。
  • 青ニ塾東京校2部の第1期生なので、1997年度(1997/04)入学で1999年度(2000/03)卒業しているはず
  • 1998年4月より、青二塾東京校二部に入塾した。(青二塾東京校二部1期生の入塾)
  • 2000年4月より、青二プロダクションに入った。(青二塾東京校二部1期生の卒塾)
  • 2000年7月に初仕事、デビュー作品『伝心 まもって守護月天!』は、2000年8月25日発売
  • 中学受験をして、私立の中学へ入学
  • 中学⇒高校⇒大学とエスカレーター進学


これらの情報をまとめると、タカシマヤへの勤務開始と、青二塾の入塾年度、デビュー時期が固定されるので・・・
※コメントにて指摘していただきましたが、満年齢の計算を間違えていました。生まれ年はご指摘どおり1973年と思われます。失礼しました

1974年5月29日 朋ちゃん誕生(多分)
1973年5月29日 朋ちゃん誕生(多分)
1986年4月 中学受験で関東学院大学の付属中学へ入学(多分)
1992年4月 関東学院大学工学部建築学科入学(多分)
1996年3月 関東学院大学工学部建築学科卒業
1996年4月 製菓メーカーに就職(経理の仕事か?)
1996年10月4日 新宿タカシマヤオープン
この前にタカシマヤへ転職、おもちゃ売り場勤務
1998年4月 青二塾東京校第二部 入塾(期間:2年)
同じ時期に銀行へ転職、貸し金庫係
2000年3月 青二塾東京校第二部 卒塾、銀行も退職
2000年7月 初仕事
2000年8月 アニメデビュー作品『伝心 まもって守護月天!』第2話「潮風のときめき」発売


これは、あくまでもいろいろな情報から類推したもので・・・それも大部分が最も信憑性が怪しい朋ちゃん本人の口から出たことなので、本当かどうかは分かりませんが、とりあえず朋ちゃんは、なかなか頑張ったという事は分かりました(^^)